神戸の西郊外の丘陵地に、ダイエーオレン
ジアタッカーズのホームジムはあります。 中村高校在学中に、このチームからも入団 の誘いを受けたYOKO。何度か体育館に足を 運んだことが思い出されました。
太平洋に沈む夕日が印象的な、サンディエ ゴの海岸とは少し違う雰囲気ですが、美し い海岸線と、豊かな緑をもつこの町が、 YOKOはとても気に入りました。
1996年アトランタ五輪の直後、東芝シーガ ルズ(当時V1リーグ)から誘いを受け、 日本でプレーすることになりました。 東芝のリーグ優勝、Vリーグ昇格を果たし
たYOKOは、翌97年「今期こそ日本一を達成 したい」というセリンジャー監督の誘いで ダイエー入りすることになりました。
チームは1レグ(Vリーグ第1節)を全勝
優勝。第2レグ第10戦目、突然フロントス タッフからチーム全員へ「今期限りの休部」 が発表されます。監督はじめスタッフは大 揺れ。反対に選手たちは結束を固め、その
日以来全勝でVリーグ優勝を果たします。 後日YOKOは、その時のことをこう話してい ます。「それは確かにショックでした。で もみんな、そんなことより、何がなんでも
日本一のタイトルが欲しかったんです」 選手たちの勝利への執着は、それに続く黒 鷲旗全日本選手権大会でも如何なく発揮され、念願の二冠を征することになりました。
二大会でベスト6に輝いたYOKOは、休部と なったダイエーからクラブチームとして独 立した、新生オレンジアタッカーズのスタ ートを支える大きな原動力となりました。
Yokoにとって、この二冠は全東京選抜とし て、失セットなしの完全優勝を果した、国 体以来、12年目の日本一でもありました。 |