Atlanta 1996 that night,She has written on the back of her right hand ,in japanise "Make everything possible"
都営三田線の千石は、地下鉄を乗り継ぐ とYokoの住んでいる新富町から30分程で す。文京区立第十中学校は、千石駅で降 り、白山通りから路地をちょっと入った ところにあります。閑静な住宅街に囲ま れ、南側には小石川植物園の緑がずっと 広がっているこの中学校で、Yokoは本格 的にバレーを始めることになりました。 パスもろくにできないセッター志望の初 心者、Yokoが入部したバレー部は、小学 生バレーで鍛え上げられた選手達ばかり が集まる、関東でも有数の強豪バレー部 でした。「バレーを始めたばかりの私で も、みんなの倍練習をすればきっとチャ ンスがくる ・・・」と固く信じていたYoko にとって、日本一を目指す厳しい練習が 苦になることはありませんでした。 1983年、文京十中は全日本中学選手権で 初優勝を果たします。その試合でMVP を手にしたYokoの選んだ進路は、意外な ものでした。バレーの強豪高校ではなく、 当時はむしろ弱小バレー部で、関東の予 選でベスト16にも残れない高校だったか らです。しかし、母がコーチに就任した このバレー部は、「春高出場なんていう のを目標にしていてはダメよ!あくまで 私達が目指すのは日本一よ!!」と、志 はあくまでも高く掲げていました。なに よりも選手たちは全員、練習の質ではど この高校にも負けていない、という誇り と自信をもつチームだったのです。 3年後の1986年、春高とインータハイの 両大会で準決勝を戦っていたのは、深紅 の中村高校のユニフォームを着たYokoた ちでした。自分の可能性を信じ、高い目 標を持ち続けたYokoたちにとって、本当 に充実した3年間でした。  
1981年、文京区立第十中学に入学、翌82年には全日本中学選抜チーム に選ばれる。83年、チームは全中学選手権に初優勝、Yokoは優秀選手賞を獲得する。 この年も全日本中学選抜に選ばれ台湾遠征ではベストセッター賞を獲得。









当時中村高校のバレー部のコーチだった母との2ショット(右から2番目のPhoto)。85年には全東京選抜チームで国体優勝(左から2番目のPhoto)。86年高校選抜でキャプテンとして海外遠征。左端のPhoto)
春高バレーに出場するのに最低でも5年かかるといわれていた中村高校は、1986年高校総体(インターハイ)、 全国高校選抜優勝大会(春高バレー)に出場を果たし両大会で3位となる。

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