1969年、米国カリフォルニア州サンフラ ンシスコで誕生し、6才までをそこで過 ごしたYokoは、小学校に入学する直前、 母と共に東京の新富町へと移り住みます。 ヘイゼル色の瞳、ブラウンの髪をもつ米 国籍のYokoは、地元の小学校から入学を 拒否されてしまいました。そして越境入 学した小学校では、子供たちから残酷で、 執拗ないじめを受けることになります。 米国では、肌の色や髪の色の違う友達が いっぱいいただけに、どうして自分だけ が仲間外れになるのか、理解する事がで きませんでした。「どうして私はみんな と違うの?」と祖母に泣いて訴えると、 祖母は決まって「五体満足で、三度三度 の食事にありつけてんだよ。何が不満だ い!あたしゃ、誰よりもYokoが好きだよ。 表に出たら胸はって、上を見て歩きな」 と明治気質の下町っ子らしい言い廻しで、 孫娘に「誇り高く生きること」を要求し 続けました。 いじめは小学校を卒業するまで続きまし た。でも小学5年生の時、母たち、元全 日本のOGやOBたちがやっていた趣味 のバレーボールの会で、Yokoは素晴らし い体験をしたのです。年齢も性別も、上 手下手も関係なくチームがみんなで力を 合わせて一つのボールに思いを賭けるバ レーを知ったのです。 コート上では、誰もがお互いを認め合い、 信じ合える理想郷があったのです。ゲー ムを終えてみんなでちゃんこ鍋をつつい ていた席上で、Yokoは胸をはって「私、 五輪で金メダルをとるんだ!」と話しは じめました。祖母の云っていた「胸をは って上を見て歩く」という本当の意味が すこしわかりはじめた気がしたのです。 Yokoが自分のアイデンティティを見つけ ようと長い旅路に船出した、記念すべき この体育館は、数年前に取り壊されて今 はありません。Yokoはその体育館が取り 壊されるとき床材の一部を分けてもらい、 自分自身のモニュメントとして今も大事 に、机の上に飾っているそうです。
ゴールデンゲートパークの芝生の上で過 ごした午後のひととき、近所のドラック ストアで母に内緒で買った、ポップソー ダの味、
父といっしょに乗った馬の背中。 サンフランシスコでの、幼かった頃の思 い出はどれも素敵なものばかりです。
この頃、Yoko は自転車に乗り、よく日比谷公園に遊びにいったそうです。
犬が大好きで、近くのMデパートに行った時は必ず屋上のペットショップでしばらく時間を過ごしていたそうです。
Updated:04/15/2001 | Copyright(c) 2000 Yoko Zetturlund All rights reserved