Atlanta 1996 that night,She has written on the back of her right hand ,in japanise "Make everything possible"
来年はいよいよアテネ五輪。オリンピック発祥の地でプレーができるなんてすてきなことだと思う。現役の時は深く考えたこともなかったが、何世紀もの時を超えて、同じ場所で強者が集い、競う。何ともロマンチックではないか。

 前回のシドニー五輪で、日本女子バレーは史上初めて予選で敗れ、出場できなかった。アテネの出場権争いは十一月のワールドカップから始まり、来年六月には開催国を含む十二チームがそろう。

 現在の日本チームが金メダルを獲れるか、と聞かれれば残念ながらその確率は低い。しかし出場は可能なはずだ。ただし、金メダルに通じる練習と戦略と意識の有無が問われることになるだろうが。

 シドニー五輪のアジア予選兼五輪最終予選ではテレビの解説をしていた。何の因果か、日本が出場権を逃した瞬間を伝えることになってしまった。

 最後の切符はクロアチアが手にした。紛争により長い混乱が続くなか。国を思う選手たちの意地と誇りが土壇場で底力を発揮させたのだ。試合後に、知人でもあったエースに試合時の心境を尋ねた。「クロアチア人としてのプライドをかけてたたかったのよ」と涙ぐんでいたのを今でも鮮やかに思い出す。

 恵まれた環境の中で、いつの間にか与えられることに慣れてしまった日本の選手たちは、この一戦で何を感じたのだろう。

 「私たちは負けるような練習はしていない」と東京五輪金メダリストの川西昌枝さんは言われた。そこに存在したのは根性だけではない。温故知新。アテネはその地にふさわしい。
(’03.7.2)

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