Atlanta 1996 that night,She has written on the back of her right hand ,in japanise "Make everything possible"
ダイアナ妃の死 もう邪魔せず静かに眠らせてあげて
プラス思考で過ごし方は・・・


私は日本人の母と、スウェーデン人の父との間に生まれて、6歳までアメリカの港町、サンフランシスコで育ちました。 今でこそ日本語をペラペラと話し、どちらかといえば東洋的な面立ちですが、6歳で日本に移住してきたときは、髪の色は金髪に近い茶色で、多少の日本語は理解できたものの、口を開けば出てくるのは英語でした。

そんな私が東京の真ん中にあった公立の小学校に通い始め、全校生徒の数がわずか130人程度の中で、ほかの子供たちにとって、私の外見と訳のわからないコトバをしゃべる様子はとても奇異なものだったに違いありません。

担任の先生が 「ホリエさんはアメリカという国から来たんですよ」 と私をクラスのみんなに紹介したその日から、 「ガイジン」 とからかいの標的にされました。
6歳から7歳ぐらいの子供が言うことですから、悪意に満ちたものではなかったと思うのですが、自分の外見が何かみんなと違うがゆえに、仲間外れにされていると薄々気がつき始めていた私は、 「ガイジン」 と言われるたびにとても傷ついていました。

学校が終わって、ピーピー泣きながら家に帰ることもしばしばありましたが、家で祖母や母に学校での出来事を逐一報告して、 「ああ、よしよし。 カワイソウなことをしたね」 と慰めてもらうことを心のどこかで期待していた私は、逆に一喝されてしまいました。

その内容は次の通りです。
「五体満足で生まれてきて、健康で、雨露しのげて食べ物も十分にある。 その上あんたを大事に思う家族がいて、それ以上何がいるっていうの。 世の中には、あんたよりもっと辛い思いをしている子供がたくさんいるんだよ!」

2年ほど前に、ナショナルチームのメンバー数人で、
遠征先のアリゾナの病院の小児病棟を訪ねたのですが、看護婦さんから、その棟に入院している子供たちの大半が、毎日 「死」 と向き合いながら生きていることを聞かされたとき、私は自分の子供のころのことを思い出しながら、今自分の足で立っていられて、思う存分好きなバレーボールをやっていられることを感謝せずにはいられませんでした。

日々過ごしている中で、自分のやっていることや与えられた物に対して、それらが存在することが当たり前のように思ってしまいがちです。

私もよく考えてみると、何でもないことで悩んだりしますが、そういう時は、ふと祖母の言葉や小児病棟の子供たちのことを考えて反省し、感謝の気持ちを忘れずに、毎日を大切に生きようと思い直します。


(デイリースポーツ'97.8.26)
ヨーコ・ゼッターランドのスポーツ東西見聞録より

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