私は今、サンディエゴの自宅でダイアナ妃が事故死されたというテレビニュースを見ながら、複雑な気持ちでこの原稿を書いています。
王室関係の方が事故で亡くなられた言えば、モナコのグレース王妃が思い出されますが、今回のことは不慮の事故というより、許容範囲を超えた報道の自由が引き起こした人身事故だといえないでしょうか。ダイアナ妃の運命だったと言ってしまえばそれまででしょうが、「運命」という言葉で終わらせてしまうには、あまりにも悲しすぎる最期だったと思います。
私は国家の重要人物ではありませんから、それほど公共の場に出ることはないですし、超有名スターほど顔も知られていませんが、ある一定レベルまでいったスポーツ選手として、いろいろなインタビューを受けてきました。自宅の前で待ち伏せされたこともありましたし、ホントに不愉快になるような質問をされたこともあります。こういうことがあっても真っ向から対決できないのは、自分が「書かれる」立場にあるからです。
私はどちらかというと他人がどう言おうとあまり気にせず、我が道を行く典型的B型人間ですが、それでも自分のイメージとして「イヤなヤツ」と言われるよりは「いい人だね」と言われる方がはるかに良いに決まっています。
私自身が第三者の手を介して、たくさんの人の前にさらけ出されるわけですから、質問に答える時はどんな質問をされても、なるだけ冷静になって、慎重に言葉を選びながら答えるようにしています。
よくスキャンダル記事などを見ると、書かれた方はプライバシーの侵害と言って抗議し、書いた方は報道の自由と言って対抗します。有名になればなるほど、プライバシーなんてあるようであって、ないも同然なんて言う人もいますが、私はこれに同意できません。どんな立場の人であっても、やはり一人の人間なのです。
このように考えた場合、個人というものを尊重すべきではないでしょうか。自分が相手の立場になってみたら、ようやく分かることがたくさんあるものです。
報道だけでなく、日常の中の人間関係においても、どこか一線を引いて相手とかかわっていることが、良い関係を長続きさせる秘訣だと思います。
重要なメッセージを残すにはあまりにも大きすぎた代償を払ったダイアナ妃の死でした。もうだれも邪魔することなく、静かに眠らせてあげてほしいと思います。
(デイリースポーツ'97.9.9)
ヨーコ・ゼッターランドのスポーツ東西見聞録より
Copyright(c) 2000-2008 Yoko Zetturlund All rights reserved 無断転載を禁じる