Atlanta 1996 that night,She has written on the back of her right hand ,in japanise "Make everything possible"
マジックと同感!素晴らしスポーツ
ダイアナ妃の死 もう邪魔せず・・・


先日、2004年のオリンピック開催地がギリシャのアテネに決定しました。
私個人の気持ちとしては、南アフリカ共和国のケープタウンになったらいいなぁ、などと思っていたのですが、近代オリンピックが誕生して100年目の時には、アテネに戻らずアトランタだったことや、21世紀初のオリンピックということを考えると、アテネで大会を開くことが妥当な線なのでしょう。
ふと、アテネ大会の時に自分は何歳になっているのかしら ・・・ と指折り数えてみると35歳。 心身ともに充実していれば4回のオリンピック出場もユメではないと思いつつ、一度しかない自分の人生なのだから、納得のいくものにしたいと考えながら、大学時代のことを思い返していました。

今を去ること10年前、私は高校からバレーボールの実業団チームには行かずに、早稲田大学に進学しました。 当時、早大女子バレー部は、関東6部リーグの最下位(6位)で、マスコミからの評価は 「同好会に毛のはえた程度のチーム」 。
もっとも1部リーグのチームが、実業団のチームになかなか勝てず、その1部リーグのチームに歯が立たなかったのですから、このような評価をされても仕方がありませんでした。 高校で実績を残して、将来を有望視された選手がいわゆる “エリート・コース” をはずれて、同好会に毛のはえた程度のチームに入ったことに対して、人生最大のあやまちを犯したかのように非難や中傷をうけました。
「レベルの低いチームに行けば、バレーボールが下手になる」 とか、「もうヨーコは真剣にバレーボールをやる気がない」 などなど。
私は傷つくよりも、憤りの方を強く感じたものです。

いくつかの選択肢を与えられ、アドバイスを受けながら、自分にとって良いと思って自分自身で選んだ結果が大学進学という道だったのです。
よく、こうすれば絶対幸せになれるとか、後悔しないとか言う人がいますが、先のことなんて、だれにもわからないと思うし、「保証するから」 なんていう人に限って、手を差しのべてほしい時には、潮が引くようにいなくなるものです。 何よりもだれかがただ与えてくれた、決められたレールの上を歩く人生なんて、ホントにつまらない。
自分のために歩いていく道なのだから、困難なことに出合っても乗り越えて行けるし、自分の足で毅然と力強く歩いている姿に人は感動したり、共感したりするのだと思います。


(デイリースポーツ'97.9.9)
ヨーコ・ゼッターランドのスポーツ東西見聞録より

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