Atlanta 1996 that night,She has written on the back of her right hand ,in japanise "Make everything possible"
多くの理解者の存在が私の支えに
堀井選手にはすがすがしさがあった


先だっての週末に私は、10年ぶりに福岡を訪れました。 ビーチバレージャパンサーキットの福岡大会がシーサイド百道(ももち)で開催され、男女決勝戦のゲスト解説者として久しぶりに初夏の海辺にやって来た、というわけです。

大学3年生で初めて来た時には、福岡タワー以外は何もなかった浜辺で、ビュービュー吹く風にさんざん苦労させられてプレーをしたことが記憶に残っていましたが、今や大企業のビルが立ち並び、そして、海水浴にやって来た人たちも楽しめるリゾート地に姿を変えました。
ありとあらゆる分野のものが日進月歩なのですから、10年という歳月は、ひとつの街がガラリと変ぼうを遂げるのには、十分すぎるぐらいの時間なんですね。

さて、大会の方はといいますと、私にとっては、なれ親しんだ選手たちばかりがプレーをしていたので、とても楽しく解説をすることができました。
中学時代から、時にはネットを挟んで対戦し、また同じコートに立って共に戦った仲間が、今はビーチで頑張っていることをとても嬉しく思いました。
それよりも、私より上(あ、トシの話です)の先輩方がけっこう多く、足どりも軽やか?に砂の上を動き回っているのです。

また、ゲーム中にも随所にベテランらしい巧みなプレーやポイントの取り方などが見られ、
「おっ。 まだまだいけますな」
と内心ニマニマしながら試合を見ていました。
この 「ニマ」 は、私自身の中にあるミディのささやかな反撃の気持ちからきていることは否定できません。

来年、三十路の道を歩み始めようとしている私です。
現役選手を続けていて、これぐらいの年齢になると日本では 「オバサン」 と呼ばれてしまいます。
もちろん、この言葉を悪く受け止めているわけではありません。 ちょっとは 「ぐさ」 ときますけど・・・。
でもこれは、今後プレーを持けていく上で、私自身が精神的な闘いより、自身との肉体的な闘いが目の前に迫りつつあることを、ふと、自覚させられるひと言なのです。

せっかく最前線での戦いが、いかに複雑かつ面白いものか、ということが分かりかけてきたのに、あと何年体が持ってくれるのかナ、などと考えていると少し悲しくなってしまったりもします。 18歳のころには、考えもしなかったことなのですがね。

日本の女性アスリートたちを見ていると、まだ続けられるのに、引退してしまう選手を多く見かけます。
円熟味が出てくる前に辞めてしまうなんて、もったいない。
来週は29歳にして私が思う、女性アスリートと競技とのかかわり方について、もう少しお話をしたいと思います。
 

(デイリースポーツ'98.7.21)
ヨーコ・ゼッターランドのスポーツ東西見聞録より

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