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熱かった甲子園の夏もようやく終わりましたね。 私も先日、とうとう念願がかない生まれて 初めて甲子園球場に足を踏み入れ、高校球児たちの戦いぶりをこの目に焼きつけてまいりました。
思えば今から10年前、制服に身をつつんだ私も1ギャルと化し、バレー部の寮生仲間と 応援するチームを決めたりして、勝った、負けたと言っては、はしゃいでいたものです。
そういえば当時、インタビューされた際に甲子園のことを話題にしたら、それを読んだ方が「甲子園の土です」と ひとにぎりの土を送ってくれました。 果たしてそれが本物かどうかは知るよしもありませんが、それは私の実家の
「宝箱」 の中に今も入っています。
試合に勝ったチームのメンバーたちが声高らかにフィールドの上で校歌を斉唱する様子が画面に 映し出されると、私の頭の中には、その土を踏むことすらなかった控えの選手たちの形なき姿が浮かん
でくるのは私自身の体験と重ねてしまうからでしょうか。
チームが編成されるとき、必ずスターティングメンバー、控えのメンバー、そして総人数に よってはこのどちらにも入ることのできない、いわゆる 「裏方」 にまわる選手たちがでてきます。 スタメンが試合で
華やかにプレーをする反面、控え選手や裏方の仕事はとても地味で時にはその存在すらも 忘れられてしまうようなこともあります。
しかし、このような人たちがきっちりと 「仕事」 をするか否かで実はチームの勝敗を大きく左右 するのです。
私がアメリカチームにいたころ、アトランタ五輪前後の半年以外の5年間は控え選手でした。 もちろん常に先発入りを目指して日々練習に明け暮れていましたが、いつしかリリーフ
のセッターとしての味をしめるようになっていきました。 最初から最後まで試合を戦いぬくことは 大変なことです。 しかし、リリーフはそれ以上に大変な重責を背負っているというのが私の持論です。
練習ゲームで私たちが手抜きをすれば、自分たちのためにならないにはもちろんのこと、 スタメンもぬるま湯にひたるだけでプレーも向上しません。 そしてリリーフがコートに立つ時は、
勝ち試合をそのまま引き継ぐか、チームのピンチを救うかというどちらかの状況です。 ですから私たち控えに選手はミスが許されない、より完璧なプレーをしなくてはならないことを暗黙の
うちに了解していました。
表舞台に立つことはなくとも、その果たしている役割の大きさは高校生もオリンピック選手も同じだと思います。
(デイリースポーツ '98.8.23)
ヨーコ・ゼッターランドのスポーツ東西見聞録より
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