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いまは少子化の時代だからそう珍しくもないと思いますが、私が子供のころはひとりっ子なんて周囲を見渡してもいませんでした。 そうです。 私は 「ひとりっ子」 なの。
このことをほかの人に言うと何故か必ず 「あなた、けっこうワガママでしょ」 と言われてしまいます。 そんなことないのにぃ。 それは時と場合によって一歩も譲れないことってあるかもしれませんが、それは私なりのポリシーがあるからそうなるだけのこと。 こういう場合以外はかなりアバウトになれるのが私の性格だと自己分析をしています。 まあ、日本でワガママだの個性的だの言われて、私自身も自分のことをアクの強い人間なんだと思い込んでいたふしがあり、ミョーな強さというか鼻息の荒さみたいなものを持っていたころがありました。
でもそんなものは大学卒業と同時にアメリカに渡り、ナショナルチームに入った時に粉々に砕け散ってしまいました。 何とかして本物の 「個」 を確立しなかったら 「私」 というちっぽけな存在は瞬く間に忘却の彼方へと押し流されていってしまうような焦燥感というか、一種の無力感のようなものを体の奥深い所で感じていました。 これと同時に私がそれまで持っていたチームスポーツの概念が大きく変わっていくのを感じました。
日本の場合、チームという枠の中に合うように個々をつくり上げていくけれど、アメリカで見たチームは個々をつなぎ合わせて形成されていました。 ちょっと形はデコボコしているかもしれなかったけれど、そのパワーたるものがどこまでも無限に広がっていくような印象をうけました。
先だって、タイでアジア大会が開かれた際に 「日本の団体スポーツは世界で勝てなくなった」 という記事を見ました。 私はその原因は何も体格や体力、技術の差だけにあるとは思いません。
いつかラグビーのジャパン監督の平尾さんが自チームの試合評として 「外国チームはどれだけ自分が長くボールをキープするかにこだわるけど、日本のチームはどれだけ早く誰かにボールを渡すかを考える」 とおっしゃっていたけど、これって日本の団体スポーツの観念のおとし穴を鋭くえぐっているコメントだと思いました。
お互いの足りない部分を補い合って、助け合い勝っていくのがチームスポーツの良さ。 このことはまぎれもない真実です。 だけれどもこれを隠れミノにしたままでいいのだろうかと首をひねりつつ、答えは来週でいいやと、またアバウトさを出してしまいました。
(デイリースポーツ '99.02.07)
ヨーコ・ゼッターランドのスポーツ東西見聞録より
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