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近ごろ都心部でも雪が降るほどの冷え込みようですが、首に巻いたマフラーからちょこっとはみ出した鼻先を春の香りが一瞬かすめる時、まるまった背筋をピンと伸ばして、まっすぐに前を見たいようなすがすがしい気持ちにさせられます。
先週は日本と外国のチームスポーツに対する観念とチームの中の 「個」 の違いについて触れてみました。 私はアメリカのチームで7年の歳月を過ごしましたが、その間に 「チームのためにこれをしろ」 というようなことを言われたことは一度もなかったように思います。 来る日も来る日も、ただひたすら自分の技術を磨くこと、肉体を鍛えることだけに専念するという姿勢が、ベテランからルーキーに至るまで徹底されていました。
自己鍛錬、そして自分の役割に徹することが自分のためだけではなく、自然とチームのためになっているのだという考えを、私は、はっきりと概念という形で自分の中に植えつけました。
根底から叩きあげた 「個」 というのは、そう簡単に崩れ去ることはありません。 たとえ、少々しなびてしまうことはあっても復活できる底力があるのです。
チームスポーツなのだから、みんなで頑張るのは当たり前のこと。 でも、まず自分がしっかりしなきゃ、人を支えることなんて出来ないですからね。
アメリカチームについていた心理学の先生の話の中で 「There is no "I" in "TEAM" (チームの中に私は無い) 」 と言ったことがありました。 TEAMの単語の中に I
(私) の文字がないことに引っかけてチームスポーツの精神について話していたのですが、私はひそかに 「でも A によって別れてはいるけれど、ME (私) は存在しているワ」 と思っていました。 控えめながらも強烈な 「個」 のアピールだなんて考えるのは私だけかな? などと言葉遊びをしつつ、あくまでもチームスポーツでありながら 「私がやらなきゃ誰がやる」 的な強さが含まれていることに感心していました。
でも、このような形のチームワークは、日本では異質なものとしてしか受け入れられないことが多くありました。 日本の場合、チームプレーはお互いの足りない部分をカバーすることが、より強調されてしまうばかりに、いつしか常に補う人と補われる人に別れてしまっているように思います。 誰かがカバーしてくれるという考えが当たり前になってしまい、自分の果たす役割がどこかへ置き去りにされているのではないでしょうか?
チームスポーツとはいえ、元をただせば人間という個体の集まりです。 自己の確立が、より深みのあるチームプレーを生み出すのではないでしょうか? と思うのですが、どうでしょう。
(デイリースポーツ '99.02.14)
ヨーコ・ゼッターランドのスポーツ東西見聞録より
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