Atlanta 1996 that night,She has written on the back of her right hand ,in japanise "Make everything possible"
スターの光輝く 西部・松坂選手を見に行こう
スウォッチで五輪への思い新た


旅立ちの春、の言葉にふさわしく4月に入って間もなく成田からタイに向けて飛び立った人がいました。 

タイの日本人学校へ体育の教師として今年から3年間指導することになったことを電話で知らされた時、ああ、いかにも彼らしいなあ、と思いながら聞いていました。 今ごろおそらくタイの新居の一室で荷ほどきをしているであろうOさんとはかれこれ知り合ってから10年ぐらいになるでしょうか。 

私が大学2年の終わりのころ、当時バレー部の総監督だった教授のすすめで女子バレー部の助っ人コーチ兼仮想プレーヤー(?)として来ることになったのがOさんでした。 Oさんいわく教授の実技クラスをとっていたことがきっかけで声がかかったようでした。 慢性的な人数不足が悩みのタネだったチームにとってはうれしいニュースだったので初日早々からOさんはこき使われていたような気がします。

Oさんがチームに来てからしばらくたったある日のこと、休憩時間にふと彼の方を見たら、体育館のすみで何やらゴソゴソしていたので、さがしものでもしているのかと近よっていくと一冊の水色の大学ノートに熱心にメモをとっていたのです。 「何を書いているんですか?」 とたずねると、こちらを振り向いてちょっと照れたように 「うん。君たちのやっている練習内容をかきとめているんだ」 と答えたのでそのノートを見せてもらうと、Oさんがチーム来た日からのチームの練習内容や彼のコメントなどが絵をまじえてびっしりと書き記されていました。

それから数カ月してからOさんはそのノートとともに青年海外協力隊の一員としてモロッコへバレーボールを教えに旅立っていったのです。 私はこの時、バレーボールの指導法を独自のやり方で学び、はっきりとした目標と情熱をもって海外へと飛び出していったOさんをちょっぴりウラヤマシイなと思ったことを覚えています。

それから10年が過ぎ、今度はタイに行くOさんと出発前に食事をすることになり、楽しくかわされた会話の中で 「ヨーコがアメリカで頑張っているのを見て、自分も何かができるはずだ、と思えた」 と言ってくれました。 その言葉のとおり、Oさんは自らモロッコという新しい環境の中にとび込んで行き、その中でさらに自分をいかせる環境をつくり出し確実に何かをつかみました。 私は今度 「私が頑張れたのは自らが望めば環境は変えていくことが可能だということを教えてもらったから」 という手紙をタイにいるOさんに送りたいと思います。


(デイリースポーツ '99.04.11)
ヨーコ・ゼッターランドのスポーツ東西見聞録より    

スターの光輝く 西部・松坂選手を見に行こう
スウォッチで五輪への思い新た

Copyright(c) 2000-2008 Yoko Zetturlund All rights reserved  無断転載を禁じる