Atlanta 1996 that night,She has written on the back of her right hand ,in japanise "Make everything possible"
オリンピックが近づくにつれ、私はアメリカチームにいた頃のことを思い出す。 6年在籍していた間の思い出は、山のようにある。 苦しいこともあったが、良かったことのほうがはるかに多い。 その理由のひとつには、私はとてもチームメイトに恵まれていたからだと思う。 今回はそんなエピソードをひとつ。
バルセロナ五輪で銅メダルを獲得したあともう1度、オリンピックにチャレンジしようと心に決めた。 先発のセッターとして地元で金メダルを狙いたい。そんな思いが
とても強かったからだ。
早稲田大学に入学してからは、ラグビーにはまり、今でもシーズンがはじまると秩父宮によく出かけています。この写真は、雑誌「ラグビーワールド」の対談企画で、この春までラグビー全日本主将をつとめていたアンドリュー・マコーミックさんとご一緒させていただいた時のものです。
ヨーコさんはマコーミックさんの大ファン。この日は「Hi!」から始まる英語での対談になったとか。共通の友人があったこともあり、大いに盛り上がったそうです。

スタメンになるためには、自分の力がチームに加われば勝てることを実証しなくてはならない。 現在の先発より実力が上であることを証明する必要があった。 私にとってそれができるチャンスは試合で交代した時だけである 。出番がまわってくるのはチームが負けている場面が多かったが、戦況を好転させる役割を果たせば、実力を認めてもらえると信じ、実績をつくっていった。
ところが私にとっては、これが裏目にでてしまった。 監督の構想の中に、
[ ヨーコ、イコール リリーフ ]
の図ができあがってしまったのである。 このことをオリンピック4ヵ月前に “宣言” され、がっくりと落ち込んでしまった。
目標を失い、やる気もなくしかけていたある日の試合でのこと。 いつものごとく、メンバーチェンジでコートに入っていくと、チームメイトのひとりが前を向いたまま、ぶっきらぼうに言った。
“It's your time to shine, yo!”
ヨーコが輝く時がやってきたんだよ。
彼女はちらっと私を見てウインクした。 プレーをしている私が最高にいいと思ってくれていることが伝えられた瞬間だった。 ぐっと胸にきて、一瞬彼女の顔がにじんだ。 その時、私の気持ちの中では先発だの、控えだのなどということはもうどうでもよくなっていた。 ただ彼女たちとコートの上で一緒に戦えることがとても幸せに思えて、私はボールを受け取りサービスゾーンに向かった。

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